大阪の空は、狭いです。
晴れていても、なんだかしょんぼりした灰色で、高い建物に区切られて角々しいのです。歩いていると、真っ先に目に飛び込んでくるのは忙しそうに歩く人の顔、ビルとビル。高速道路を伝うパイプライン。それから、ざくざくの喧噪とクラクション。一寸、気を付けて空を探そうとしなければ、その存在はとても小さく感じられます。
で、時には一生懸命に首を傾げて空を探します。風の強い日には、ビルの輪郭の合間をちぎれた雲がすいすいと抜けていくのも見えます。そんな、か細い空に虹を見つけたときは、あの背の高いマルビルの宣伝塔の電光掲示板に『−速報− 大阪の空に、虹架かる!』と、流してもらって誰かに教えたくなるくらい、ちょっと嬉しくなります。
大阪の空にも、虹が架かります。
その場所、その時間、その角度からしか見えないことがあります。それが見る人によって重要な意味を持たなくっても、流動的に、激しく移り変わっていく物事のなかにおいて、時々こうして空や自然を見つめることを大切だと思うのです。