日本って変わった国だ。いったいどれが母国語なんだい?
スペイン語を話す友人が初めて日本を訪れたとき、こんなことを言っていました。
成程———。街を見渡せばサインや、掲示に氾濫する片仮名、漢語、英語に平仮名。
日本語である筈のカタカナでさえ、もはや英語やヨーロッパ言語を音読表記しただけ
の新型和製語です。この矛盾、私も実は学生の頃から感じていたことでした。だから、
出来るだけ変なカタカナは使わず、元の言語の意味を理解して、外来語は外来語と
してそのまま使うように努めていました。
“どれが日本語なんだい?” 的を射ています。
そう思い俯瞰してみれば、どの国も、その国の言葉を誇らしげに使っています。欧州
列強と言われる国々からその昔に支配を受け、歴史の長い間、植民地化されていた
ことのある国だって、その名残は遺しながらも、『母国語』として、胸を張って言える言
葉を掲げているのです。
失われていく、日本語。先人が培ってきた智慧や、本来の持つ独特の言い回しや、
繊細な美しさが過去のものになってしまわないように、正しい言葉を正しい意味で使
わなければいけません。
で、最後に韻を踏んで日本語に聞こえてしまう、英語。
Sorry, it’s your wish, my dear! →それ言っちゃあ、おしまいだよ!
ん、お後がよろしいようで。