海外で、被災した日本人の忍耐力の高さが取り沙汰されていましたね。でも、一部では
心ない買い占めや、窃盗もありました・・・日本人の心に訊く、秩序や忍耐力って何なの
でしょう。
私が小学生くらいの頃、母からこんな話を聞いた事を憶えています。
母曰く、『道を歩いていて、道端に水撒きをしている人がいました。不意にその水があ
なたに掛かってしまったら(若しくは掛けられてしまったら)、ーさて、あなたは怒る?』
私は、『もちろん、怒る! もし口に出して怒らなくても、とても気分が悪い。』と答えまし
た。
母は、ニコニコしながら、『そう。例えばね、こう思うことは出来ない? “こんな暑い日に
思いがけず水を掛けて貰った、あぁ良かった。”』
??なんで??
『そんなことは望んでもいないし、服がビショビショに濡れたとして、殊にそんなことを
思う人がいるもんか! もし、そんな風に考える人がいたとしたら馬鹿だ。』
猛反発する私に、母は、どうどうと言わんばかりに笑いながら、『そうね。でも、これは
例えばの話だよ。いつもそんな風に思うことが出来れば、世の中に本当に怒ることや、
腹の立つことなんてそうそう無くなるのかも知れないね。』
私は、釈然としないままそのときは“ふん・・・。”と思い、以来その話をすることはあり
ませんでした。そして、近頃になってその話を思い出して考えるのは、それがいわゆる
“ 人の慈愛 ”だということ。人の心の根底にあるべきものなのだろうという事です。日々、
生きていくなかでこのような心象で、本当にそれを行うのはなかなか難しいことなのか
も知れません。この話は極端でもただことさらに、きれいごとだとも思わないのです。
日本は、古来から仏性を重んじる国です。性善説なるもの、仏教では四端の心と言うそ
うで、他者の苦境を見過ごせない憐れみの心・不正を羞恥する心・謙譲の心・善悪を分
別する心などを善の兆しとし、誰もが幼少より、多かれ少なかれ身の周りの懇親しいも
の(大人や仏閣など)を通じてその片鱗を心に刻み付け、成長してきたのです。表面的に
観れば色々な人がいますが、もっと心の奥底にあるもの、です。
窮地において秩序を守り、じっと我を忍ぶことができる奥ゆかしさを美徳とし、それを実
践することが出来るのは、こういう気持ちの表れなのだと思います。
そして、それこそが“人間らしい”ということなのかも知れません。今頑張っている、そして
前を向こうとしている震災被災地の方々。私だって、こうして心を震わせています。
ひとりではない。
みんなが同じ気持ちで、踏みとどまり繋がっていることに敬愛をこめて。