従順だからという単純な理由ではなくて、犬は、いつも私の成長と
あったからなのだろうと思います。保健センターなどの保護擁立に
よって、この頃ではあまり見かけなくなりましたが、私が子供の頃
(30年も前でしょうか) には、往来や公園には野良犬や捨て犬と思
われる雑種犬がよく歩きまわっていました。物心つく頃には、小さい
犬からもう程なく成長してある程度大きくなってしまった犬まで、人
懐っこい彼らと日が暮れるまで遊びました。そして必ずといって良い
程、その犬を家まで連れて帰っては、“返してこい。”と雷を落とされ
ていたものです。半日と一緒に過ごした犬公と惜別の時—そんな
寂しい思いを繰り返しながらも懲りることなく、拾い犬を連れて帰っ
ては“飼いたい”と交渉し続けました。小学生になった或る日、雑種
は雑種なのですが、茶色の毛並み艶のしっかりした子犬を抱えて、
また叱られることを、ぼんやりと考えながら家に帰りました。すると、
母親はもう流石に情けをかけてくれたのか、本当は少しずつ犬にも
興味を持ってくれていたのか“あなたがしっかり世話をする約束が
出来るなら、飼ってもいいよ”と言ってくれたのです。もちろん、夜は
眠れないくらい嬉しかったです。
彼女の名前は『ラック』。幸運を、という意味で母親が名付けてくれ
ました。
それから家族の一員として17年間生きた彼女が死んでしまってか
らは新しい犬を、と偶に探すのですが、本当に賢く人懐っこかった
『ラック』の事を考えると今でもなんだか他の犬を飼うに踏み切れ
ずにいます。そして、大抵気持ちが疲れたりする日、その犬は夢に
出てきます。それは私が心の拠を求めているのか『ラック』が夢枕
に立って応援してくれているのかはわかりませんが、朝、目を覚ま
すと不思議と“あぁ、頑張らなければなぁ。”と思うのです。