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おんちゃんと、ユウキと、ミスチルと。 2011.10.24更新
北陸は石川県。加賀に私が “おんちゃん” と慕っている男性がいます。かくして、おんちゃんとは方言で、私は “お兄ちゃん” という意味で受け止め、そう呼んでいます。彼は頭頸部外科の腕利き医師ですが、その遠方に医療的な繋がりもありませんし、殊更、お互いに数える程しか会ったこともない程です。だけど私には、そんな彼をおんちゃんと敬い、ずっと慕っていきたい理由があるのです。
忘れられない人がいます。
おんちゃんには “ユウキ” という名前の弟がいました。ユウキは、私より3歳離れた、学生時代からの親友でした。ボクシング、ボートやダイビング、音楽と勉強。恋愛観においても趣味や価値観なども何かしら似たところがあって、ゆえによくケンカもしました。お互いがお互いを比べて、ちょっと出遅れたところがあると、ふざけながら『追いつけ、追い越せ。』を口癖に、結局は縺れてしまいながらも切磋琢磨していたように思います。
そんな或る日のこと。ユウキが、私の大事にしていたアコースティックギターを貸してくれとせがみにやって来たことがありました。彼は、あのMr.Childrenの大ファンで、ちょうどその頃は「終わりなき旅」、「口笛」などといった甘酸っぱいライフバラードが、よく街中に流れていました。彼は『 “ミスチル” をギター弾き出来るようになりたい。』といつになく息巻いていました。私は『ははぁん。その実、ただ彼女の前で格好つけたいだけなんだろ?』とからかうと、眉をぴくっとさせながら、『それは、本当に弾けるようになってから!』と照れ隠し、ケラケラと笑っていたのをよく憶えています。私は『どうせ弾くなら、自分で納得するくらい巧くなるまでやりなよ。』と、何ヶ月かの条件付きで彼にギターを貸しました。
そのギターが私の手元に返ってきたのは、それから3ヶ月ほどしてからのことでした。それは直接本人の手から返されたのではなく、彼の親族を経由して—。
そして、もう彼はこの世にはいませんでした。
それは、つい一昨日まで隣りで戯けはしゃいでいた親友との、余りにもあっけない “さようなら” でした。心臓が原因とのことで、告別式の日、彼が何度も練習していたミスチルの、あの「終わりなき旅」が繰り返し繰り返し、会場のスピーカーから流れていました。“♪人はつじつまを合わすように型に嵌ってく。誰の真似もすんな、君は君でいい・・・時は無情なほどにすべて洗い流してくれる・・・。” 彼がそう言っているように聞こえたら、不意に胸が痛くなり、私はもう本当にそこに居る現実感もなく、何が何だか分からないまま、こんなに涙がでることがあるのかというくらいに泣きました。
それから、もう十数年が経ちます。
遮二無二、“自分らしさ” を探しながらアイデンティティが完成に近づく頃。手探りで一生懸命もがき、辿り着いたものが誰かに似てしまったとしても、それはそれでいい。その取掛かりから、もう一つ上に新しいものを積み上げることが出来れば、それはまた新しい形になる―。今でこそ、いいえ、今も。その歌を聴くと、そんな風にぼんやりと考えたりします。
もし、彼が生きていたら、今でもあの頃と同じようにまた悩み、はしゃいでいたのだろうと思います。そんな彼にかわり、私の事を “弟” だと言ってくれるおんちゃん。彼もまた、かけがえのない私の “兄” なのです。そして、ユウキとミスチルと。心の片隅にいつも忘れずにいます。
今は誰かと同じだっていい。一生懸命何かをやれることこそ、大切。怠けてなんかいると、そのうち『追い越せ、追い越せ。』と、笑われてしまいそうですから。

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